渡り鳥になりたい

最初からミニマリストな理系大学院生(博士課程)の日常

精神疾患は認めることが第一歩だが、実はそこが一番難しい

大学院2年目でうつ病と診断され、今も治ったわけではないけど、何とか普通に研究室生活を送ろうとジタバタもがいている秋(シュウ)です。

この前、ほっしーさんのブログ『双極性男子のあたまのなか』と出会い、だいぶ読み込んでしまいました。

今現在精神疾患に苦しんでいる方も、周りにそのような人がいてどう接していいか分からない方も、一度目を通してみると、ヒントとなるようなことがたくさん書かれていると思います。

あぁ、私が一番辛かった時期、出会いたかったブログだなぁ…

その中でも、特に私が共感した部分、だからぜひ多くの人へ伝えたい部分が、この記事タイトルの内容となります。

今回は「精神疾患である」と認めることは心理的に負担となること、だけどそこを認めないと治療も何も始まらないよ、という話をしたいと思います。

 

 

精神疾患は受け入れるのが最初のステップ

先ほど紹介したブログで「どうすればうつから脱出できるか」という現実的な話の中で「小さくステップを刻もう」との言葉がありました。

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うつから脱出するための全8ステップ | 双極性男子のあたまのなか より引用。

 

8つのステップって何?と気になった方はそちらの本文を読んでいただくとして、

その第一ステップが、

STEP1:甘えじゃない! 自分が病気であることを知ろう

となっていました。

まぁ、そりゃそうですよね。「現状に問題点がある」と認めないことには、改善も脱出もあったもんじゃないですから。

でも、これが本当に難しいです。少なくとも私が一番苦労したのはそこです。

 

またまた引用します。 

うつ病は甘えじゃないぞ…。 実際にうつ病になってわかった11のこと | 双極性男子のあたまのなか より。 

精神疾患を受け入れるのは大変です。

「うつ病は甘えだ!」なんて言っていた私ですから、病気を認めて受け入れるというのは、人生の中で負けを認めることと同等だと思っていました。

認めてしまえば、これまで生きてきた人生を否定することにもなるのではないかと。

くだらないプライドですね。ただこのくだらないプライドは、病気を治療する観点から見れば、とても大きな壁になります。

病気を受け入れられない人が、病気を治せるとは思えません。

受け入れて向き合って、自分と対話しなければならないのです。

分かる、そうそう、結局自分のくだらないプライドですよ。 自分でハードルを上げといて、自分でつまずく、みたいな。 

 

今から思えば大学院最初の年からおかしかったのに、それをずっと認めなかった

私は今までの人生、学校大好きな人間だったんですよ(いや、どっちかというと家にいるのが嫌すぎたせいかもだが...)。

それが大学院になってから「朝起きるのがしんどい」「学校行きたくない」と強く毎日毎日思うようになりました。

これが体からのSOSかな?って今だったら思うけど、当初は「ちょっと疲れてるのかな?」程度にしか思わずにSOSを無視し続けていました。

それどころか、「早く今の環境に慣れなきゃ」「早く周りに追いつかなきゃ(飛び級してる)」といつも以上に気持ち面で焦り、余裕がどんどんなくなっていました。

 

「起きなきゃ」と自分の意思でなんとか動けるうちはまだ良かったです。

そのうち、「起きたいけど起きれない...」「早く行きたいけど体が動かない...」という状態になりました。

この時に誰かに相談するなり、病院に行くなりすれば良かったんでしょうけど、私はなぜかそれを頑なに言おうとしませんでした。

学校には「寝坊したので遅れます」「別のところで用事を済ませてから行きます」などと言ってました。

なんで寝坊は良いと思ったのかは今でも謎です。

 

それまでの私の周りに精神疾患で苦しんでいる人はいました。

「大変だねぇ...」と理解を示して表面上支えているように見えて、心の中では「いっつもそうやって甘えて」とうんざりしていたのでしょう。

「そんなことはない」と知識として知っていても、心のどこかで「鬱なんて、気の持ちようでどうにかできるんじゃないの?」と思っていた部分は否定できません。

だから、いざ私が当事者の立場になった時、頑なに周囲には言えなかったんですよね。

「自力でどうにかしなきゃ」と一人でどんどん沼にはまっていました。

 

学校にいる間も「急に何も出来なくなる時」や「急に涙が溢れて止まらなくなる時」がありました。そういう時は何も言わずトイレや人気のない場所に逃げ込み、一人で泣いていました。

で、気持ちが落ち着いた時にしれっと戻っていましたね。

なんでしょう。「落ち込んでいる自分」を誰にも見せたくなかったのでしょうか。私はいつも元気いっぱいで、ばりばり仕事ができる人だ、と周囲に思わせたかったのかもしれません。

これぞプライドってやつでしょうか。

 

実は一年目の夏頃に「やっぱ秋っておかしいよ」ってことで研究室のメンバーに学校の保健所につれていかれたことがあったんですよ。ちなみにこれも私が相当嫌がったので、半ば無理やりです...

その時に心理テストのような分析シートのようなものを渡されて、ぶつぶつ言いながらも正直に答えました。

それで、あーだこーだと言われてような気がしますが、ろくに聞いてもいませんでした。

最後に「一度病院でちゃんと検査しましょうか」と勧められました。

 

その時の私の心の声...

「は、何いってんの?」

実際の声...

「嫌ですっ!!」

 

そのカウンセラーの方と、一週間後も面談をする約束をしていたんですけど、勝手にサボりました。

私をムリに連れてって方には「なんともないみたいだよ」と不自然な笑顔を作ったことでしょう。

 

ここが結構大きなターニングポイントだったかな、と今になって思います。

カウンセラーの言うことをちゃんと聞いていれば...あの時点で一回病院に行っとけば...二年目にぱたっと倒れることも、ギリギリまで自分を追い詰めることもなかったのかもしれません。

 

別に過去を振り返っても変わるものじゃないです。

でも、もし今同じような症状で苦しんでいる方がいましたら、私は次のことを声を大にして言いたいです。 

  

病気であるかどうかを決めるのは自分ではなく専門家だ

これは精神疾患に限った話ではないです。

例えばスポーツをしていて試合前日に骨折をしたとしましょう。本人は「こんなん大丈夫だから」「明日試合に出るから」などと行っても医者が止めますよね。ケガした部分が包帯でぐるぐる巻きであれば、周りの人も本人がなんと言おうと休ませますよね。

うつ病とかも一緒なんですよ。

ただ「包帯」のような目に見て分かりやすいものが無いから、本人も周りも気がつかないだけです。

 

「自分では平気だと思うから」「こんなん病気なんて違うから」最初はそう思ってても良いと思います。

でも、ちょっとでも「あれ?」と思えば、病院へは行った方が良いです。

そして向こうは専門家です、同じような病状の人を何人も何人も見てきたわけですから、自分の感情よりも専門家の言うことに耳を傾けてみても良いんじゃないですかね。

「医者だから、100%言うことを聞け」とは思わないです。

やっぱり違うと思えば、また別の人に相談しても良いし、病院を変えたって良いと思います。

 

でも「自分の体のことは自分が一番良くわかってる」っていう変なこだわりはさっさと捨てた方が良いでしょう。「自分のことなのに自分がコントロールできない」というのが精神疾患の本質の部分ですから。

「薬飲んでみたら」と言われたら、しばらく飲んでみる。

「休んでみたら」と言われたら、しばらく休む。

それでも何も変化が無ければそこからまた考えれば良いんです。ただ、この一歩が当時の私にとっては本当にハードルが高かったです。

 

「そっか、自分は今病気なんだ」

他人事のようでも良いから、そう認めることが第一歩です。 

  

あとがき

秋のうつ病体験談でした。

ある意味一番しんどかった「認める」という部分ですが、感情的にならずに書けました。

↓これを書いた時など、ずっと泣きながら文字打ってましたからね...

その時と比べれば症状も落ち着いてきてるのでしょう。

で、こういう時に無茶をするとまた逆戻りすることも体験済ですので、少しずつ、元の自分、なりたい自分に向かっていければいいかなぁと思っています。 

 

最初までお読みいただきありがとうございました。